あらすじ

西暦2033年。死を目前にした人々はIT企業が運営する仮想現実のホテルに生前の記憶ともども“アップロード”されることが可能となっている。ブルックリン暮らしのノラはそんな贅沢な死後の世界「レイクビュー」のカスタマーサービス担当スタッフ(エンジェル)として働くロサンゼルスでプログラマーとして売込み中のネイサンはある日、自動運転の車が起こした事故で瀕死の重傷を負い病院に搬送される。そこでネイサンを待っていたのはレイクビューへのアップロードを執拗に勧めるガールフレンドだった・・・。

夢の仮想現実「レイクビュー」で第二の人生を始めることとなったネイサンと、その担当となったノラ。二人は現実と仮想世界の垣根を越えてお互いへの理解を深めていくのだが・・・。

かなりリアルな10年後の世界

 2030年代には人間の記憶の外部装置化が可能になると言っていたのはロシアの科学者だったか。でも彼(彼女)の言を俟たずとも、生体情報や記憶のメモリーバンクへの移植については30年前ならともかく、2020年の現代では結構現実味を帯びてきている。2014年公開の米映画「トランセンデンス」(ジョニー・デップ主演)もまさにこの「記憶の外部装置化」がテーマだった。

 本作では本来重たいはずのこのテーマ(「トランセンデンス」はかなりの鬱展開だった)をさらりとカジュアルに描いており、それが逆にリアリティを際立たせている。ノラは経済的な問題で大学の法学部を中退して今の会社でアテンダントとして働いているし、ネイサンも生前はプログラマーとしてブイブイ言わせていたように当初描かれているが、物語が進むにつれて実は経済的にはガールフレンドの資産に依拠せざるを得ない不安定な立場にあったことが明かされていく。「レイクビュー」の住人たちにしても、中東で下半身に致命的な傷を負った極度に寂しがりやの退役軍人、ペシミストでシニカルが服を着て歩いているような元世界第二の大富豪の爺さん(実に鼻持ちならない人物に仕上がっている)、少年のままアップロードされてしまいどんどん大人になっていく現実世界の兄弟や友人たちに嫉妬しまくる男の子など、実に現実味のある群像描写に成功している。

 仮想現実である「レイクビュー」の描写もいい。ファーストシーズンの途中で一回レイクビューはおおがかりなシステムのアップデートを行う。バージョンアップした翌日、朝食を口にした住人がこう叫ぶ。「酸味がわかるようになった!今までは甘いとしょっぱいしかわからなかったのに!」電脳に認識させる各種信号でさえ、日々進化し続け、かくして仮想現実は実体世界からの一方的アプローチによる機能拡張を受け、現実世界との境界線をどんどん曖昧にされていく。

 情報はもちろんのこと実体経済のデジタル化とネットワーク化も究極まで進化し、一夜のお相手は「ナイトリー」というアプリで簡単に見つかる。なかば仮想現実化した世界では人間はネット上のアイコンやアバターとほぼ同義となり、自分のアバターにつけられる星の数がこの世界での唯一の評価基準となる。職場における人事考課から「ナイトリー」での口コミにいたるまで、人々はつねに自分の頭上にポップアップする星の数を気にしなければならない。SNSでの「いいね!」の数に一喜一憂する2020年代のネットユーザーがたどり着く先はこういう世界なのか。

仮想現実でもアメリカは壮絶な格差社会

 ところで、死後の桃源郷であるはずのレイクビューには「2GIGS」と呼ばれる下層階が存在する。容量無制限の上層階に対し、このフロアでは月当たりの上限が「2ギガ」となっており、月の途中で容量をオーバーすると住人はフリーズ状態となり、月末まで何もできなくなる。購入できるものも限られ、アバター(住人)によっては着る服もなく裸で、なかには体のパーツの一部が欠けて(!)いるものすらいる。物語の中盤でネイサンはこのフロアの存在をノラから教えられ、衝撃を受ける。

 アメリカの映画やドラマが面白いなぁと感じるのは、貧富の差という、われわれ「後発の格差社会国民」からすればあまりみっともよくない社会の現実を意外に隠そうとしないことだ。「ロボコップ」(1987年)は警察すら民営化されたデトロイトを舞台に、コングロマリット企業であるオムニ社がやりたい放題世界を荒廃させていく物語だった。DCコミックから派生した「ジョーカー」(2019年)は、アンチヒーローの誕生秘話に仮借して、グローバル化の終着点ともいうべき絶望都市・ゴッサムシティーをとことん描き切った。そこではごみ処理業や医療といったエッセンシャルワークを自治体が民間に丸投げしている。町は汚物まみれでネズミが大量発生し、人心は荒み切っている。アーサーは持病が原因で仕事を失い、唯一の相談場所だった精神科のカウンセリングも受けられなくなりやがて凶行に走る。市の緊縮財政で福祉予算が削られたのだ。

病気もケガも自己責任

 そもそもアメリカ映画やドラマを見ていて、そこで描かれる医療や福祉サービスは皆無だ。風邪くらいでは医者になどかからない。登場人物が病院に駆け込む(担ぎ込まれる)のはよほど深刻な病気やケガになったときに限られる(本作でも病院のシーンはネイサンが交通事故で致命傷?を負って救急搬送されたときのみ)。これが邦画なら高熱が出たくらいで、夜間でも時間外診療を受けたりするシーンがよく出てくる。高齢者や寝たきりの病人なら医師が患家まで訪問診療にくる描写だって珍しくない。我々が当たり前にしている「国民皆保険制度」がかの国には存在しないのだ。

 アメリカにも医療保険はある。ただし民間の、営利企業が運営する保険だ。オバマケアが「アメリカ版国民皆保険」であるかのように言われたが完全な誤解だ。オバマは国民すべてが何らかの民間の医療保険に加入することを義務付けようとしただけだ。

 前述のとおり、アメリカでは風邪くらいでは医者になどかからない。風邪どころかインフルエンザになっても大半は医療機関を受診しない。最低数万円はかかる医療費を支払えないからだ。病院やクリニックの代わりにドラッグストアに行って、薬剤師に症状などを説明して薬を処方してもらう。だから日本でもインフルエンザ治療薬として名高い「タミフル」はあちらではドラッグストアで入手可能だ。タミフルのテレビコマーシャルさえある。

マイケル・ムーア監督の「シッコ」(2007年)で誤って切断してしまった指の治療費が高すぎて、一本だけであきらめたという男性が登場する。虫歯の治療で10万円、虫垂炎の手術で100万円などはかの国ではむしろ普通のことなのだ。

力なき善人のむなしさ

 話を本作に戻そう。(前世で)低所得者だったアバターたちの居住地区「2GIGS」を案内されたネイサンは衝撃を受ける。提供される食事は冷凍食品、映像や書籍などは無料のサンプルデータで途中から閲覧不可能となる。目の前で容量の上限に達した少年はその場でフリーズする。遊び道具もなく、サランラップの芯を転がして遊ぶ少女を見て、ネイサンは義憤にかられこう叫ぶ。「なんて悲惨な!こんな扱いはありえない。彼らのために誰かが何かしなくては」

 おぉ、ここで登場するのか、古き良きアメリカのフォークヒーローよ。危うく2020年代にいることを忘れてしまいそうだ。この場面でのネイサンはまるで「スミス都へ行く」(1939年)のジェームス・ステュアートそのままだ。

 正直言ってこのシーンでのネイサンは前後の関係からするとひどく浮いて見える。現実世界でやり手のプログラマーとしてそれなりの野心も持っており、だから仮想現実の世界ではその処遇に文句たらたら、でも財布のひもはガールフレンドのイングリッドに握られていて、その意向には逆らえない。そんな「仮想現実世界のヒモ男」が低層階の住人のために突如正義の怒りにかられて「何かしなくては!」と声高に主張を始める。何かがおかしい。

確かにネイサンは好人物だ。前世でだまされたような形跡もあるし、どれだけガールフレンドに振り回されてもボーゼンと追随してしまう。だからノラも当初はこの顧客を「情けない男」としてかなり冷めた目で見ていたのだ。でもこのままではネイサンは救われない。曲がりなりにも彼は主人公なのだ。そして、世にはびこる悪を決して許さないのはアメリカ映画の古き良き伝統でもある。実際のアメリカも「世界の警察官」としてベトナムで、アフガンで、イラクで盛大に正義の花火を打ち上げて悪党どもを懲らしめてきたところだ。

だからこの場面、ネイサンは道義心につき動かされて「ひどい!なんとかせねば」と叫ぶしかなかったのだ。それにこのままではもう一人の主人公・ノラとの、現実世界と仮想現実との障壁を超えたロマンスにつながらないではないか(げんにこの場面以降、ノラは急速にネイサンを男性として意識し始める)。純粋で悪を許さない正しい心、そんなヒーローに恋しちゃうヒロイン、これこそアメリカ人が求めてやまないフォークヒーローの具象化だ。

でも現実(ドラマ)は厳しい。どんなに義憤にかられてもネイサンに思いつくのは「食べ放題の自分の朝食を低層階の住人達に分けてあげる」ことくらい。19世紀の空想的社会主義者たちも逃げ出すくらいの非力っぷりだ。それに彼は仮想現実世界のアバターに過ぎず、イングリッドが課金を辞めた瞬間にフリーズしてしまう存在だ。だから変革を叫んだ次の瞬間に彼女からの呼び出しにそわそわとその場を離れることになる。

もしこの場面におけるネイサンの描写が、視聴者にその正義感の空虚さや矮小さを印象付けるためにあえて挿入されたものなのだとしたら、このUPLOADは恐ろしいドラマだ。つまりこうだ。みんな騙されるなよ。世の中そんなに甘くないのだぜ。ネイサンの哀れな姿を見ろよ。仮想現実世界ですらコマーシャリズムと現代資本主義、究極まで進化したグローバリズムから逃れるどころか、その顎にがっぷり咥え込まれているのだぜ。ノラだって、点数欲しさに電子商品の売り込みに必死じゃないか。これは現代版ロミオとジュリエットだ。二人とも貧乏人のな・・・。

気になる今後の展開

 一部ネタバレを含んでしまったが、いかがだったでしょうか。結論からいえば本作「UPLOAD」はお勧めである。最終話まで視聴したが、あきらかに続編ありきの作りとなっている(すでにシーズン2の制作が始まっている)。ノラとネイサンのロマンスの行方は気になるし、ネイサンの事故死にまつわる謎解き要素もある。でもそれ以上に興味深いのは、この作品が現代社会の歪みや醜さ、うわべだけで力を持たぬ正義感のむなしさを「これでもか」というくらい見せつけ、少しも隠すそぶりを見せないところだ。

 ネイサンのクズ男っぷりはどこまで進化を遂げるのか。ブルックリンの貧乏ガール・ノラに一発逆転の展開はあるのか。スチームローラーのようにすべてを粉砕していく現代資本主義の焼け野原の向こうに、僕らはどんな未来を見出すことになるのか。その手掛かりを与えてくれるかもしれない本作の続編にとりあえず期待だ。

 これだけドラマに仮借して大風呂敷を広げておいて、結果主人公二人のラブストーリーに終わってしまったら、ごめんなさい。

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